戦跡本島周辺離島

団結道場

①見どころ
 伊江島の土地闘争の歴史を語り継ぐシンボルとして、平和学習で訪れる人が多い場所です。

②概要
 団結道場とは、戦後、米民政府により農民土地を強制接収され、農作物を焼かれ、住宅を壊されたこと、そして米軍演習に対することに島民で団結して戦うために造られた青年たちの教育の場です。道場の建物は、1970年5月5日に工事を開始し、同年9月に完成しました。建物の側面には米軍への訴えが書かれています。会議や学習、宿泊の場として、1980年半ばまで使用されていました。2002年に外装が塗り替えられました。

③ヒストリー
 1953年4月3日、米民政府は「土地収用令」を公布して、沖縄全県下で農民の土地を接収しました。伊江島では真謝、西崎区に始まり、1955年3月11日から米軍はブルトーザーで住宅を壊し、農作物を焼き払いました。離島のために支援も得られず、また、軍用地問題で戦闘的に戦っていた沖縄人民党が弾圧され、瀬長亀次郎ら指導者は刑務所に投獄されていました。島民は「乞食行進」を行い、全県を歩き世論に訴えました。この間、100人余の逮捕者がでました。伊江島の戦いは、「土地を守る四原則」(一括払い反対、適正補償、損害補償、新規接収反対)を貫く「島ぐるみ」の闘争の導火線となりました。土地接収、米軍演習の中で、多くの犠牲者を出す苦しみを乗り越え、1961年に「伊江島土地を守る会」を結成するとともに「団結道場」を真謝に建設し、戦いを引き継ぐ多くの青年を教育してきました。
 なお、米軍の妨害により、道場の建設にはすぐに至りませんでした。1967年12月6日の起工式では、米軍がいきなりやってきて、いくつかの質問をしただけで帰りましたが、翌日から本格的な建築作業に入ると、米兵が数名でやってきて農民や本土から来たフォトジャーナリストの嬉野京子氏らに暴力を振るい、役所や部隊内で監禁するなどをしました。そして、建設地に銃を持った見張りをつけるなど、道場建設が進まないようにしました。1968年の屋良朝苗氏の主席当選、佐藤・ニクソン声明などを経て、1972年の日本復帰の決定後、1970年5月5日に工事を開始し、同年9月に完成しました。

④ワンポイントアドバイス
 近隣に駐車場はありません。

スポット情報

住所

Map Marker 〒905-0505 伊江村西江上956

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