戦跡本島周辺離島

井川正大佐の墓

①見どころ
 沖縄戦の前哨戦とも称された伊江島の戦いの守備隊長の墓です。

②概要
 沖縄戦時に伊江島守備隊を指揮した井川正少佐(死後、二階級特進して大佐)の墓で、伊江島の激戦地であった城山の中腹に建てられています。

③ヒストリー
 伊江島守備隊は、歩兵1個大隊350名に現地召集兵約300名を加えた部隊でした。1945年4月16日、米軍は激烈な爆撃と艦砲射撃を加えた後、約6千の兵員を伊江島に上陸させました。米軍上陸の報を聞いた井川少佐は、指揮下の中小隊長を前に悠然と「生死勝敗は問題でない。ただ、死んで悔のない戦闘を遂行すべき」旨を訓示し、落ち着いて戦闘を指揮したといわれています。4月20日、敵の包囲網はいよいよせばまった午後7時頃、井川少佐は、「敵上陸いらいすでに五日間、わが将兵は優秀装備を誇る十倍にあまる敵軍を迎えて勇戦奮闘、敵に多大の損害を与えたるも、われもまた将兵あいついで斃れ、弾薬また欠乏を告げるにいたれり。ここにおいて、われは残存せる全兵力をもって今夜半を期し、敵に最後の鉄槌を加えんとす。」との命令を発しました。この突撃に加わることができた者は、将校約10名、兵は150名に過ぎす、既に井川部隊は大隊としての戦闘力を喪失していました。しかし、部隊の闘志はいささかも衰えませんでした。井川少佐の最期は、「学校前面において敵弾を左上膊、左胸部に受け、もやはこれまでと、持った拳銃により従容として見事な自決を遂げられた。」と記されています。享年39歳でした。

④ワンポイントアドバイス
 井川少佐の死後も伊江島の戦闘は続きました。井川少佐の「一日でも長く敵の伊江島完全占領を妨害し、一人でも多くの敵兵をたおせ」との訓示は残像兵に受け継がれ、兵はゲリラと化し、孤立無援の戦いがこの後さらに数日間繰り返され、やがて部隊は玉砕しました。

スポット情報

住所

Map Marker 〒905-0501 伊江村東江上154

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